Helsinkiにいます
あさ8時を過ぎても暗い。窓の外に吸盤で付いている温度計は-11ºCを指している。アパートの7階の窓からは,雪の路地がどんよりと沈んで見える。毎朝ここのアパートから8.3マイル郊外の大学に通う。たった2週間とはいえ初めて海外で「生活」をしている。一人で。
さぞ心細いでしょう。
架空のインタビュアが私に聞く。
いや,それが不思議なことにそうでもないのです。
私は身を乗り出して続ける。
それどころか,かなり安心できるのです。私は懐かしい気さえしています,この生活に。

幹からメタンガスが出てくるという不思議な現象を研究している私は思った。幹の中でのメタンの動きが重要であろう。そこで,幹の中での移動現象を専門とする先生に教えを請うことにした。
その先生はフィンランドはヘルシンキ大学におられる。ありがたいことに渡航のための予算が獲得できたので,芦生での今年の調査を仕舞った11月末,ヘルシンキに出かけることにした。
この秋は,調査,サークルのイベント,北部祭,初投稿(というとラジオみたいで良い)の論文のお直しなどなど盛りだくさんで,大変に忙しかった。だからヘルシンキ行きを目前にして初めて冬服をごそごそ引っ張り出し,以って衣替えおよび訪欧の準備とした。
このとき出した冬服には,祖父からのお下がりであるストライプのmarimekkoのシャツや,祖母がかつて着ていたという,古いシルエットのトレンチコートもあり,ヨーロッパ,フィンランドに着ていくにはたいへん縁起が良いと思われた。私の祖母はドイツ人である。おそらく'70年代ものの臙脂色のトランクに合わせると,古臭いヘンテコな旅行者が完成した。

ややあってフィンランドに降り立ち,ヘルシンキのアパートに到着した。中央駅からトラムでわずか10分ほどだろうか。高低差のある土地に,4〜7階建ての古い集合住宅が一見不規則に,実は規則的に建っている。部屋のオーナーを待つ間に凍えてしまった。鼻水を垂らしながら彼の話をなんとか聞き終えて,古い映画に出てくる金属製の籠のようなエレベーターで7階に上がった。
部屋に入ると,不思議な気持ちになった。
コルクボードの床,白い壁,ニス塗りの合板の扉,大きなダイヤルのオーブンレンジ,木の机や椅子,ふんわりと暖かい色の間接光の照明。そのどれも既に知っていると思った。
この部屋は,いまはもう無くなってしまった練馬の祖父母宅に似ている。

この季節,ヘルシンキの気温は大きな日変化を示さないことが多い。それは夜冷え込まないからではない。めったに太陽が姿を表さず,日中の気温が夜のそれとほとんど変わらないからだ。昼になっても-10ºC前後,加えて強い風が吹く日もある。
ならば,ヘルシンキの冬の生活は寒いのか。これが意外にもそうではない。暖かくて快適だ。室内がとても暖かいのだ。よく断熱されている。窓はもちろん2重3重。そしてパネルヒーターがいつでもじんわり暖かい。ヘルシンキの人たちは,この暖かい家の暮らしをとても大事に,そして誇りに思っているらしい。カナダの家はフランス人が作ったから寒いと言っていた。真偽の程はさだかではない。
ヘルシンキ大学も非常に快適だ。農学部はやや郊外のVikkiという場所にあるが,下町からバスでたったの15分ほど。外観こそ感嘆するような建物では無いが,室内は程よく木が使われ,ゆったりとしており,そして明るい。京大農学部のトンネルのような廊下とは違う。学生の居室は木の広い机があり,南面には大きな窓から雲を通してぼんやりした太陽(雲が明るくなった部分といったほうが良い)が見えていた。

先生は頭の回転が早く,興味が尽きないというタイプの人で,そしてとても親身にしてくれた。私の持っているデータや準備してきたモデルも面白がって,次にモデルの中で試すべきことを提示してくれた。それを実行し数日後にまたミーティング,これを何度か繰り返そう,ということになった。研究面でもやりやすい形にまとまって,とても快適だ。

概して,ヘルシンキでの滞在は想像していたよりずっと快適である。それは,外は寒くとも部屋は暖かいこと,部屋は練馬の家のようで安心できること,素敵な先生に恵まれたこと,これらのおかげである。しかし,もう一つ重要な要素があった。
人と話をしていると,やがてこう聞かれる。2週間の滞在をなんでこの寒くて暗い時期にしたの? たしかにね,と同意しつつ色々説明すると次に言われるのは,決まってこうだ。でも君はラッキーだよ。こんなに早くに雪が積もっているのは珍しい。
普通,この冬の初めというのは,冷たい雨が降る暗い季節なんだそうな。しかし12月終わり頃になると,ちゃんと雪が積もる。たとえ寒くても,雪が街を覆えば景色が明るくなる。これは随分と違うのだそうだ。今年は,おそらく私が来る前日から雪が降り,20cmくらいの積雪になっていた。
私はフィンランドに歓迎されているのだと,うぬぼれることにした。

さて,私がなぜヘルシンキのアパートに祖父母宅を思い出したのか。それを探るためにも,私はアールト自邸の見学にいくことにした。
その日の朝は珍しく全天に青空が見えた。朝日がお向かいの屋根を照らして眩しい。昼過ぎまで大学で仕事をしてから,東京で言えば武蔵野線のように都心をぐるりとまいて走るトラムでアールト自邸へと向かう。
アールトはフィンランドを代表する建築家。モダンで機能的なデザインがとても心地よい。私の祖父も建築家で,アールトに影響をうけたらしい。なんと,夏の家という彼の別荘で彼に会ってさえいるらしい。そんなアールトの自邸は,彼の家族が住まなくなってから,ミュージアムとして一般に公開されている。アールトの研究をしている博士課程の学生が,1時間弱の素晴らしいガイドツアーをしてくれた。
家には家族の住むプライベート空間と,彼と部下のオフィス空間とが含まれていて,そう考えるとやや手狭ながらも,いろいろな工夫でもって分離されていた。室内はいろいろな質感の材料,セメント,レンガ,テキスタイル,木材など,が使われていて温かみがあった。暗い冬を明るく過ごすために,東,南,西面には大きな窓があり,折しも地面ぎりぎりから差す日が,部屋の隅々までいきわたっていた。

中央の吊り照明はミュージアムになってから付け足したもの
また,彼の空間は照明にとても気を使っているそうだ。たしかに,直接目に見える光源はなく,間接光や手元やテーブルの上をスポットで照らすライティングが目立つ。彼が間接光の照明を好むのは,薄暗いフィンランドの朝夕に,それは目に優しいからだという。
練馬の祖父母宅の,大きな一間を思い出す。その部屋は,天井が屋根にそって勾配があり,棟部分で対になる屋根との間に隙間をもうけて採光していた。その部屋は,それ以外の明かりは上向きにしたいくつかのゼットライトによる間接照明だけだったから,しんと落ち着いて優しいtranquilな空間だった。
実際のところ,少しずつ改増築を重ねていった練馬の家と違い,アールト自邸は,ゼロから,隅々までデザインしつくされた空間だったから,ここが同じだとか,あの部分はここを模している,といったような具体的な発見はあまりなかった(もちろん私の見る目が養われていないのもあろう),けれど,空間に入ったそのとき,あるいはボーッと部屋の隅の椅子に座って見渡したときの心地よさ,安心感は,練馬の家のそれに連続していた。

帰りがけに,ガイドをしてくれた博士学生にこうした経緯を話すと,とてもよろこんで,それが建築の力だよね,と彼女は言った。
私は,芦生研究林での研究生活や,京都での暮らしについて,その成果物たる論文だけでなく,現場の雰囲気を記録したい,人に伝えたい,あとの人たちに残したい,と思ったりしてこのブログをしているけれど,建築は,そうした経験,考え方,感覚を空間として残し,伝え,再現することができるのだなと思った。建築をしている人たちにちょっぴり嫉妬している。

ともあれ,ほくほくした気持ちで私は下町に向かい,ヘルシンキの中枢,元老院広場のクリスマスマーケットでホットワインとソーセージサンドを頂いてさらに気持ちよくなって,アパートに帰った。暖かいアパートに。

...とりあえずここまで。
も少し書きたいことがあるのでそのうち更新します。
【予告】サウナ,エストニア
(2023-Dec-7)