芦生演習林の中山作業所
・・・やがて谷はだんだん小さくなり道がよくなつて来て小広い草原にちかづくと,正面に中山作業所が現はれる。・・・ 藁葺の田舎家も二軒ばかりあり,山の神を祭つた神社も小高い丘の上にある。何処から来ても此処へ出ると途中があまりに深い山なので全く仙境へ出た感じである。桃源郷と云うのはこんな所であらうと思はれる。・・・
森本次男『京都北山と丹波高原』(1938)より
かつて長治谷小屋ができるまえから,上谷と下谷の合流地点に中山作業所なる拠点があったらしい。藁葺きの田舎家だとか桃源郷だとか,どうやら素敵な場所だったようだ。いまはすっかりスギ林になっている中山作業所について,調べたことをここに書く。
演習林ができた(1910年)ころ,いわゆる「上流」での作業のために整備されたのが中山作業所のようだ。中山作業所での生活はどんなものだったのだろうか。
まずは,1932年に京大演習林が芦生について案内した『京都帝国大学蘆生演習林』に作業所全体を写した写真を見つけたので,引用して紹介する。

1932年『京都帝国大学蘆生演習林』京都帝国大学演習林編 より引用
茅葺の建物に隠れたあたりに上谷と下谷の合流があり,下谷は画面左手に伸びているはずだ。写真の奥から手前に流れるのが上谷で,川沿いに遡ればあるいて20分ほどで長治谷である。茅葺き屋根の建物が白い新しい宿舎と渡り廊下でつながっているのが写真からわかる。京大演習林が芦生について案内した『京都帝国大学蘆生演習林』(1932)によれば,茅葺の建物は演習林ができる5年前の1916年に建てられた建物であるらしく,演習林の成立にともなって「知井村ヨリ引継」いだたらしい。上流には木地師が住んでいたというが,木地師とこの建物に関係があったら面白い。
中山作業所では1929年から8年間,通年・毎日の気象観測を行っていた。自動観測装置のない当時であるから,厳冬期も含め職員が常駐していたのだ。いったいどれほどの頻度で下流の事務所とのやりとりがあったのだろう。上の写真には建物の前に畑が写っているが,これは樹木の苗畑ではなくて食料の自給のための野菜畑ではないだろうか。
中山での冬は長かったようだ。開演から1942年までの気象観測をまとめた『芦生中山氣象概況』によると,積雪は一年の半分におよび,1934年や1936年は最低気温-20℃を記録している。そして待ちわびた春の訪れは,「鶯鳴ク」(1935年3月19日)のように記録されている。
百年近く前のある春の日,人里離れた「仙境」で演習林職員がつけた記録から,想像は止まない。
引用文献リスト(出版年順)
1932『京都帝国大学蘆生演習林』京都帝国大学演習林編
1938『京都北山と丹波高原』森本次男
1942『芦生中山気象概況』京都帝国大学演習林編
1993『芦生演習林の変遷(資料)』中島皇,今井英二郎,大畠誠一 京都大学演習林集報25
(2023-March)