年越し下北半島
私は"故郷"というものへの関心,執着が強い。

故郷と一口にいってもいろいろな形があるかと思う。故郷が田舎にある人もあれば,都会に故郷をもつ人もあるし,代々その場所に暮らしているような故郷もあれば,移り住んで故郷となったタイプもあろう。なかでも,私は純正で典型的な故郷へのあこがれというものを持っている。
今回の年越しは,青森の下北半島の旅行中に迎えることになった。ものの本でも青森は,故郷の舞台となることが多いけれど,年末年始の青森ともなるとまさに故郷の概念の中心のような,そんな場所だった。

もちろん強風で速度制限がかかる
12月末,JR五能線の暖かい車内から,外の荒れる日本海を見ていた。森林科の同期だったGくんといっしょに旅をしている。
京都からずっと海沿いをここまで来た。海沿いの車窓はつい見いってしまう。列車は深浦駅に入った。しばらく止まるらしく,「ちょっと外の空気吸ってくるわ」と言ってホームに出かけた。
私はいままで海沿いに住んだことがない。日本海側の漁村に住んだらどんなだろうと思う。

前に来たときはキハ40だった
山手にある中学校が終わったら,踏切をわたって海側の家に帰っただろう。駅前のスーパーで買い物はして,たまには駅前食堂で外食するだろうか。夏の暑さは,雨風の強い夜は,どんなだろう。私は生魚を食べられるようになったのは高校に入ってからなのだけど,海沿いに住んでいたら小さいころから刺し身を食べていたのだろうか。別の場所にすんでいる自分を想像するのは,旅をする人に共通の習慣だろう。
・・・
山梨の実家で過ごさない年末年始は初めてだ。自由なような居心地の悪いような,不思議な気分だった。
旅程を立てていると,年末年始は旅に向いていないことがわかってくる。宿が取れない,食堂が休んでいる。考えてみればあたりまえ,年末年始は休んで家族や親戚と過ごしたいもの。電話をかけて「あぁ,そのころは休みなんです」と聞くたびに,なんだか諭されているような気持ちになったけれど,歯を食いしばって旅程を繋いだ。それで得られる景色が,体験があるはずなのだ。

帰省列車には懐かしい色が似合う
北陸から北東北までの,大きな駅で乗り換えるたびに,改札口でたくさんの父母,祖父母から歓迎の眼差しをうけた。帰省する子や孫を出迎えているのだ。私らはその横をすり抜ける。「よくかえってきたねぇ」。これから,車に乗って,雪道を帰って,軽く荷解きをしたらお仏壇に手を合わせて,夕ご飯になるんだろう。そんな光景を勝手に想像して,他方の自分は招かれざるものであるという妄想を勝手に巡らせる... 私は,どこにある年末年始に帰るべきか...

子や孫の顔が見えるのを,いまかいまかと待っている
・・・
私は山梨のいなかで育ったが,東京からの移住だから先祖代々山梨,というわけではない。父方母方の実家はそれぞれ名古屋と東京にあるから,典型的な「いなかに帰る」という帰省とは逆だった。だからもっとも故郷らしい場所は山梨だ。

薄明の能代平野
母が亡くなって,実家にもいろいろと変化があり,山梨は単なる故郷とは違うものになった。と,客観的に書いてしまったけれど,本当は自分がこういった一連のできごとを引き起こしてしまったようにも思っている。大学を卒業したら山梨に戻って,林業の仕事について,家庭をもって,父母の近くで暮らす。そういった未来を,その登場人物みなで思い描いていた。そして,それはいつか飛び出すための枠のようになってしまった。あるとき,私は違う未来をえらび,それもあって母は急に体調をくずし,そのまま亡くなってしまった。私はそう思っている。
・・・
青森から海峡フェリーでいったん函館に渡り,乗り換えて大間に船で入る旅程である。

どうしても大函航路で大間に入りたかった
船窓から薄暮の下北半島を見やる。青色が風景を染めるにつれて,私はどこを自分の根っことして持つべきか,そんな思いがつのる。そしてふと気づく。この悩みを,もっと深く持っていたのは母だったのではないかと。母は,ドイツ人の母をもち,国際都市ロンドンで生まれた。小学生の時に日本語も話せぬまま1960年代の東京に来て,たいへん苦労したそうだ。東京では外人とよばれ物珍しく見られ,しかし久しぶりにロンドンの小学校を訪ねたら「日本からきたお友達です!」と教師に紹介される。私はもはや何人でもないのか...と衝撃をうけたと言っていた。
その後,子ども(私ら)を育てるにあたって東京から山梨に移住したときの母には,自分の根拠地は自分で作る,という気持ちがあったのではないか。そんな思いの山梨に,帰らないというあのときの私の決断は母にとってどれほど重かっただろうか...
・・・

移動が目的になった旅だから,日中はずっと列車か船に揺られている。そして乗り継ぎの時間にうまくご飯を食べるために,車中船中ではずっと次の食事処を探しているような具合。その点,Gくんは食事処選びに長けていて,しかも地元の料理屋に入るのを面倒くさがらない。大間,12月30日の夜,といった難しい条件でも,いいお店を見つけてくれる。
入ったのは,居酒屋と小料理屋の中間のようなお店で,女将さんが迎えてくれた。お客は我々だけで,お店には演歌がかかっている。私とGくんは絶え間なく話すような性格ではない。間欠的に起こる会話に,たまに女将が加わる。あす,大晦日は開けるんですか,と聞く。
「昔はね,元旦の夜2時くらいからあけて,すると神社の初詣から帰ってきた人たちがね,朝まで飲んでいったの。でもいまではお客も少ないし,一緒にお店に立っていた主人も入院しているしで,今夜の店をしめたらもう正月は休むことにしたの」
ちょうど1日前は弘前にいた。帰省した若者が久々に地元の友達と飲んでいるような,賑やかな飲み屋街。うって変わって,大間のしっぽりとした夜もいいものだ。
店を出て,冷たい空気に触れると心地よく酔っていることに気づく。「女将さん,お若い時は大間のアイドルだったろうね」というと「いまもお綺麗だ!」とGくん。ふわふわした歩みで,年末年始も閉まらない原発建設労働者向けの宿に帰った。

今回訪れた青森県内で,大間が一番少雪だった
Gくんのご祖父母は,灯台守をしていたそうだ。尻屋崎灯台にいたときに,2人は出会い,結婚した。そんな尻屋崎の冬景色を見てみたい,というのがこの旅のはじまりだった。
調べるうち,冬は尻屋崎にはたどり着けないことがわかり,寒立馬の冬季放牧地「アタカ」に行ってみることにした。
牧草地の入口のゲートを開けて入ると,冷たい雨が降ってきた。しばらくあるいて奥の林縁のあたりまでくると,20頭ほどがやや疎らに群れていた。足が短く,がっちりとした体躯で,まさに寒さにも強そうだ。昨晩までにうすく積もった雪を前足で器用に掘り起こして,その下の草を食んでいる。かなり,近くまで寄ることができる。

ここで通年放牧の馬産はじめた人は甲斐の国出身の人らしい
歩き回りながら見ていると,ニコンの最終期のフィルム一眼レフを抱えた男性が近づいてきた。30〜40歳くらいだろうか,黄色いカッパを着ていて,口数は少なそうに見える。会釈して,しばらく一緒に馬を見ていたが,「馬がお好きなんですか」と聞くと「うん,まぁ,1年に何回かくるんだ」「どちらからですか?」「おれ?おれは岩手から」。そしてまたカメラを構えはじめた。
結局,これ以上の交流はないのだ。だけど,大晦日の昼すぎに,我々と同じように,下北半島の先に寒立馬を見に来ている,というだけで,ちょっと仲間のような気がした。

なぜみな同じ向きなのか
・・・
その日の夜,つまり大晦日の夜は,実に不思議な夜だった。ことの発端は,むつ市中心部のホテルから,田名部神社という大きな神社に歩いて参ったことだった。すると,鳥居前に寸胴鍋を煮込んでいるテントがあったので,訪ねてみると,ラーメンを売っていた。これは!と思って注文すると,「入って!あったけぇから!」といってテントの奥のストーブの前の席を空けてくれた。

三が日ずっと開けているらしい
そこには,ど根性ガエルのプリントされたトレーナーをきた好々爺がニコニコしながら座っていて,その隣でラーメンをすすった。しばらくすると,突然,「うたは,好きか?」と聞いてきた。「えぇ,多少は...」。展開が読めない。「歌うか?」

オシャレなおじいちゃんである
そんなわけで,大晦日カラオケ大会 於スナック ブラックローズが開催される運びとなった。
おじいちゃんの歌いだしの一曲は,千昌夫『味噌汁の詩』であったが,それがびっくりするほど上手かった。その後,『蓬莱船』,さらに吉幾三の『雪國』を入れたときの,「めいきょぐだよなぁ?」の笑顔がわすれられない。
聞くと,(吉幾三と同じ)五所川原出身だとか。全国の原発建設現場を重機のオペレータとして転々として,むつに落ち着いたそうだ。「ずっと出ずっぱりだから,かぁちゃんに逃げられちゃったの」。このスナックには,いつも歌を練習しに来ているらしい。

年明けのデイサービスでこの出来事をみんなに自慢するつもりだそうだ
・・・
年末年始の下北半島には,強く太い根っこを持った人たちの純正で典型的な故郷が展開されるそのすぐ横で,我々のようなよそ者を暖かく迎えてくれる一角もあった。ママの歌う『津軽海峡冬景色』をまさにご当地で聞きながら,大晦日の夜は更けていった。

むつ市にはスナックがたくさん
年越し青森旅行は,純正な故郷の数々を通り抜け,それにあてられて落ち込んだり,でも暖かく迎えられて喜んだり,あるいは馬や森[補足1]を見て息を整えたり,そんな旅行だった。
京都から青森下北までほとんど普通列車と船だけで来る[補足2],その長い車内船内で,ここ数年のことを振り返えれたのもよかった。そして,自分の居場所は自分でつくろうと思った。できれば東北や北海道のいなかがいい。母に頼らず,しかし道しるべにはして同じような道を歩き直そうと思う。

一夜開けて,元日の釜臥山
おわり。(2025-Mar.-12)
補足1:
今回の旅行中に訪ねた森は,(1)下北半島大畑の大畑ヒバ天然林施業実験林と,(2)野辺地駅裏の日本最初の鉄道林。
大畑ヒバ実験林は積雪20cm下で,雪に道を作りながら入っていった。施業法ごとに見た目が歴然と異なり,持続的に択伐が可能そうな林分は密な下木で見通しが悪く,無伐採で林冠木だけ残っているような林文は見通しがよく一見きれいな森に見えてしまう。芦生の森は後者だなと思うなど。
30分ほどの散策では,松川恭佐のいう「森林構成群」はハッキリとはわからなかった。
野辺地鉄道林では,森林学会編『日本の森林』に書いてあった高伐り痕の鳥の巣状の枝がよく見えた。私の二大・好きなもの「鉄道」と「森林」が組み合わさるのは,森林鉄道と鉄道林で,もちろんどちらも好き。本多静六揮毫の碑に,研究がうまくいきますようにと拝んだ。
補足2:
今回の旅程はこんな感じ。1日目は,えちごトキめき鉄道の車両故障・運休があり,新幹線で迂回した。鉄道王国富山万歳。
①京都ー(東海道・北陸・旧北陸線3セク)ー魚津ー(富山地鉄)ー黒部宇奈月ー(北陸新)ー上越妙高ー(信越)ー新潟ー(フェリー㋵)ー秋田港
②土崎ー(奥羽・五能)ー五所川原ー金木ー(津軽ストーブ)ー五所川原ー弘前
③弘前ー青森ー(津軽海峡F)ー函館ー(大函航路)ー大間
③大間ー(下北交通)ーむつ市ー(レンタカー)ー尻屋・大畑実験林ーむつ市
③むつ市ー(大湊)ー野辺地ー青森ー青森空港ー伊丹
伊丹からの帰り,元旦の京阪電車,ロングシートでヨダレ垂らして寝てる酔っぱらいがいて,やっぱ関西はええな,と思ったりした。
^もどる