船旅のすすめ
正しい旅行は船旅で始まる。言うまでもない。
慌ただしい日常と,漂うような旅先とを,ゆるやかにつなげてくれるのが,船である。飛行機ではこうはいかない。バタバタと家をでたと思ったら気づく間もなく目的地。飛行機をエレベータの仲間に分類する学派もあるくらいだ。
船に乗り込むことで,旅のこころが醸されていく。だから船は旅の始まり,あるいは終わりに必要なプロセスである。そういった私の主張を堅実ならしめんがために,筆をとった。
航路連絡列車
賢明な一部の読者はご存知かとも思われるが,京都市街に港はない。もっと賢明な読者は,伏見に地方港湾があることをご存知かとも思われるが,私もそういった方面に興味は尽きないながらも,本稿の射程を大きく超えるためにここでは触れない。ともかく,私の生活の町である京都には港がないものだから,船旅を始める港町への移動が必要で,これについても船旅の一部と捉えることに私はいささかのためらいもない。かくなる上は,敦賀へのアプローチもまた慎重な検討を要する。それは正統なものであればあるほどよろしい。私は今回の旅を始めるにあたって,以下に続くような妄想をこしらえ,以て出立の言祝ぎとした。
夏,灼熱のキョート。市内の電車を乗り継いで,キョート中央駅に向かう。国鉄の航路連絡列車に乗って,北方航路の出港するツルガの街までゆくのだ。
航路連絡列車といっても,地元の人ものる。キョート中央駅では座席に座ることができなかった。見知らぬ人々の肩越しに,真昼の厳しさを欠いた空を眺める。
長い隧道をぬけ,とうとうキョートを抜け出す。ビワ湖を右手に眺めながら1駅,1駅といくごとに通勤客は減り,対照的に,北へ向かう大荷物の人ばかりが「濃縮」されるように残っていく。
説明は不要であろう。湖西線の快速列車もひとたび妄想によって飾られば格式高き航路連絡列車である。
空が赤く染まり,そしてその灯も消えるころ,列車はがらんとした駅に止まった。にわかに轟音が近づいて,一等船客の乗る特別急行に追い越された。かつては遠くニイガタまで駆けたという特別急行も,年々,カンサイの支配力の弱まるにつれて短くなり,ついにはカンサイを出て最初の港町,ツルガまでの列車になってしまった。
古き良き鉄道網を愛する一部の民にとって,今年の3月に敦賀まで開通した北陸新幹線は,ネガティブな側面もあった。それは,百年余の歴史ある北陸本線が,段階的な分割・地方公営化によって,ついに米原〜敦賀間の小路線になってしまったことだ。
しかしここで,敦賀からの日本海・北海道航路を念頭においてみてほしい。関西都市圏から敦賀行きの列車とくに特急列車が,まるで航路に連絡するための専用列車のように感ぜられはしまいか。
敦賀港への連絡列車は,単なる思いつきではない。戦前,東京駅からパリ駅まで,海路・シベリア鉄道を経由する欧亜連絡運輸というものがあったというが,その出港地は敦賀港だった。ウラジオストク行きの船に接続する形で,毎月5,15,25日に東京駅を出発する敦賀港行きの急行には,1等車も連結されたという。
そういった歴史が,この妄想にささやかな格式を与えてくれている。
北航
新日本海フェリーの関西航路は,いわゆる夜発夜着の航路。夜の10時に岸壁を離れるころには,もう妄想よりも眠気が勝る。およそ22時間かけて北海道・苫小牧東港を目指す。
京都での慌ただしい生活はなかば強制的に23ノットで遠ざかり,北海道での非日常は23ノットで近づいてくる。
フェリーでの移動は,”運ばれる”かんじが良い。自分で運転する車は言うまでもなく積極的な移動だが,鉄道もわりと主体的に乗り換えをする。それらにくらべて,船旅は,まさに"大船に乗った"気分でいられる。
その間,普段のように仕事をすることはできない。時化で揺れていればそれどころでないし,インターネットもないことが多い。にもかかわらず,船の時間はちっとも飽きない。まったく進捗がなくとも,空虚に一日を過ごしてしまった焦燥感がない。
ここで僭越ながら,船内おすすめの過ごし方を紹介しよう。両舷の大きな窓に面した一人掛けソファに深めに身を沈めてみてほしい。あえて窓の外は見ずに,ぼんやりと天井を見上げてみる。すると,船が立てた白波,船尾へと去っていくその波に反射した昼の光が,次から次へと,扇状に,まるで万華鏡のように天井に映っては消える。
京都での,はずかしい失敗とか,間違いとか,こだわりとか,そういったものを次々に思い出して,でもそれらは23ノットで去っていって,だんだんと波間に消えていく,ような気がする...。
夏休み中,航路には旅芸人が乗り組んでいる。今回はアコーディオン奏者であった。夕食時のレストランには,哀愁ただよう生演奏の音がうすく流れている。ソーセージと,グラタンをメインに据えて,ビール,そしてワインを頂く。折しも船は津軽海峡を抜けて太平洋側に出るところだ。恵山岬に夕日が傾いている。なんと贅沢な時間だろうか,と彼女といいあった。アタマはもう,完全に旅行のそれに切り替わった。
やがて,船は苫小牧入港にむけて,速度を落とし始める。だれかの旅はこの船足に合わせて,ゆっくり幕を閉じるのだろう。でも僕らは違う,これからだ。いよいよ,試される大地での旅が始まる。ただ身を預けていれば良い船旅はいま終わり,満載のバックパックを背に載せ,腰紐をキュッと締める。勝負に臨む剣士が袴の帯を締め上げるそれである。
(2024年7月初稿,2025年8月掲載)